チャンスに巡り合う人
2021年6月17日
最近読んだ本の内容からの話。 上神田梅雄氏は22歳だった昭和50年に 故郷の岩手県から単身上京し、 新宿調理師専門学校の夜間部にて学んだ。 昭和62年に銀座「懐石料理・阿伽免」の総料理長となり、 その後25年間、5つの企業で総料理長として活躍した。 平成23年、母校である新宿調理師専門学校の 学校長に就任し、後進の指導にあたっている。 板前の世界では、かつて上下関係がとても厳しく、 洗い方と呼ばれる新人の頃は数年間、 食材にすら触らせてもらえず、洗い物ばかり。 若き日の上神田氏は修行に入った年齢が遅かったので、 誰よりも努力しなければならないと覚悟を決めた。 修行していた店では、お店に入社して3年に満たない者は 鰻に触ることを禁じられていた。 うなぎは仕入れが高価な食材だから、ヘタな新人が さばこうと挑み、失敗して切り散らかしたりすると 材料が無駄になってしまうからである。 しかし、上神田氏は何とか練習しようと考えた。 鰻用の桶には、常にひと桶に7本から10本の鰻が 入っているが、一晩活かしておいたうち 1本ぐらいは弱ったやつがいる。 弱ったやつをそのままにしておくとヌルが出て 他の元気な鰻も死んでしまい大損害になるから、 必ず毎朝・晩、桶の水を取り替え、 ヌルヌルを取るために桶を束子で水洗いする。 この作業は鰻割きチームのメンバーの任務だったが 上神田氏は「私にやらせてください」と申し出て、 大変な作業なので先輩は喜んで任せてくれた。 そこで、オケの水を取り替えてから 何本かの弱った鰻をはじいて桶を洗い終えたあと、 弱った鰻を割く練習を一人でやり始めた。 難しい練習だが、根気良くコツコツと続けていき、 徐々にそれなりに鰻が割けるようになってきた。 1年近くが経った頃、鰻割きチームのメンバーのうち 一人が店を辞めた。 すると煮方(厨房では二番手)の先輩が 「料理長、上神田君は、もう鰻を割けますよ」 と進言してくれた。 隠れて練習していたつもりでも、知られていたのだ。 こうして2年目という早さで、上神田氏は 鰻割きチームに入ることになった。 それまで密かに練習していた努力、 この事前の準備があったからこそ、 チャンスに対応できた。 そして、この経験が後に後輩の指導でも役立った。 さほど苦労せずに技術を身につけられる器用な人は、 不器用で何かにつけもたつく後輩に、 「おまえ、そんな簡単なこともできないのか!」 となじり、叱りつけることになりがちだ。 しかし、不器用で自分なりに工夫してきた上神田氏は、 不器用な後輩のもたつく理由も原因もよく分かる。 なので、許してあげること、待ってあげること、 そしてわずかな上達を認めてあげる、 自然に教え上手が身についていった。 「チャンスが来たら、一生懸命やるのになー」 と愚痴を言っている人がたくさんいます。 そういう人には当然、チャンスは来ません。 なぜなら、 「一生懸命やる人に、チャンスが来る」からです。 チャンスが来たらやりますよ、という人に対して 「よし、じゃあチャンスをやろう」というお人好しはいません。 日頃から「もしチャンスが来たならば」と自分を磨いて 勉強したり練習したりしている人にこそ、 「よし、準備ができている君なら、できそうだな」 と評価されてチャンスが回されるのです。 誰からも言われていないのに、やる。 誰が見ているわけでもないのに、やる。 誰からも評価されるわけでもないのに、やる。 そうやって、自主的に取り組んで初めて、 チャンスが巡ってくるのです。 誰からも求められなくても、 「いつ自分にお鉢が回ってきても大丈夫なように」 と、勉強や練習に取り組んでいる人が勝ちます。 今から、何に取り組むべきでしょうか。
出典は、最近読んだこの本です。