保科正之
2019年11月29日
2020年5月10日
200年以上にわたる幕藩体制を築き上げた江戸詰の藩主と現代ビジネスに通ずる部分があります。
一人がいくつもの会社の社長を務めている例は多く、「自分がいない時はこう経営しなさい」というシステムを作り、自分がいなくても経営が回るようにする。現地にいなくても経営をする。
社長をいくつも兼任している人ではなくても、経営者の本質とは、自分がいなくても経営が回るためのシステム作りです。
会社は一代限りのものではなく次の代、その次の代の人々のことを考えなければなりません。
3代将軍・徳川家光の異母弟で、不遇ながら保科正之は幼いころから聡明で真面目であったため、26歳で山形藩、33歳で会津藩の藩主になる。
しかも、家光と4代将軍・家綱の片腕、後見人となり幕閣に重きをなした。江戸幕府の重臣は、それぞれ所領を持ち、そこの藩主でもあった。
例えれば江戸幕府という東京本社の重役を務めながら会津にある子会社の社長も務めていた。
しかし幕府の重臣は藩主を務める地に滞在するまれで、ほとんどが江戸にいて幕府の仕事をしており藩には代官を置いて統治させているのが普通であった。
江戸にいる保科の務めとして代官に経営設計を的確に指示することが重要であった。
できることは進んで部下に任せていき、自分は新しいことを次々作る。
自分が動けない時も、誰かが動ける仕組み。
会社が回り続けるシステム構築には時間が掛かるが適切にPDCAを回していけば必ず改善されていく。それを作るのが、経営者の最大の仕事と言える。